田中俊輔について
投稿日時:2010/04/09はじめまして。田中俊輔と申します。カウテレビジョンでは制作チーフをしています。
僕は1983年に福岡県の福間町(現・福津市)で生まれ、大学生までずっと福間で育ちました。小学校3年から中学3年まで野球を、高校3年間はラグビーをしてきました。
■カウテレビジョンとの出会い
小学校~中学校~高校~大学とそれなりの生活をしてきた僕に、大学3年生の冬、衝撃が走ります。高校時代の友人・永山洋志から「就職活動に役立ちそうなイベントがあるから行かないか?」と誘いを受けました。スピンアウト有限会社(カウテレビジョンの事業母体)が開催していたイベントに参加したのです。
その衝撃は今でも忘れることはありません。就職活動を終えた1つ年上のインターンシップ中の大学生が、僕たち大学3年生に向かって、ものすごい勢いでスピーチをしたのです。「たった1つ先輩なのに、自分とのこの差はなんだ?!」と自分がとてもちっぽけに感じました。大学時代をなあなあで過ごした僕にとってはとても気になる組織でした。
その後、何とかこのインターンシップに僕も参加させてもらえることになりました。これがカウテレビジョンと僕の歩みの始まりです。先ほど述べた就職活動イベントに参加していなかったら今ごろ僕はどんな人生を歩んでいたのでしょう?高校時代に出会った永山洋志からの誘いがなければ・・・つくづく人との「縁」の大切さを感じます。
■初めて自分と向き合った就職活動
こうして、カウテレビジョンのインターンシップ生となり、就職活動にも本格的に臨んでいきました。しかし、面接をやってもやっても落とされてばかり。自信をなくしていった僕は段々と家に引きこもりがちになっていきました。そんな時、家に閉じこもっていた僕を引っ張り出してくれたのが、カウテレビジョンの先輩・安永さんでした。「引きこもってねぇで、面接の練習やるぞ!」と一喝していただき、カウテレビジョンの一インターンシップ生である僕の就職活動の面倒を見ていただきました。先輩方にビシバシと鍛えていただいたお陰で内定を取ることができ、僕の就職活動は終わりました。
■人生初の「決意」
就職活動を終え、カウテレビジョンのインターンシップをしながら残りの大学生ライフを過ごしていた僕に、ある想いが湧いてきました。「カウテレビジョンの人たちと共に働いてみたい...」。会社を興し、自分たちで商品を作り出しお客様の信頼を積み重ねていっているカウテレビジョンクルーに惚れ込んでしまいました。しかし、僕は他の会社から内定をいただいていました。更に、それまで「周りと同じことをする人生」を歩んできた自分がベンチャー企業に通用するのか?そんな想いが心の中をグルグルと巡り続けます。
僕は「カウテレビジョンに入社すること」を決意しました。そのためには、自分を大学まで通わせてくれた両親を説得する必要がありました。ベンチャー企業に入社することを両親は許してくれるんだろうか・・・?初めて両親に心の内を告げた時、あっさりと切り捨てられました。でも自分の想いを叶えるために何度も何度も両親に話をしました。ついに許しを得て僕はカウテレビジョンに入社することが決まりました。
■カウテレビジョンクルーの一員に
2006年4月1日、僕はカウテレビジョンクルーの一員になりました。入社から僕が担当させてもらったのはCOW-TVのメインコンテンツである「社長室101」。このシリーズ番組を加速させるために、まず社長へのアポイントを徹底的に練習しました。自分の電話内容をどのように聞こえるのか?声の大きさは?喋りのスピードは?客観的に判断できるようにテープレコーダーで自分の声を録音し、繰り返し繰り返しチェックを重ねました。自分でアポイントを取り、撮影をし、編集して番組を作り上げる。番組制作の喜びを段々と知ることができました。その後も社長インタビューや会社紹介リポート、商品紹介リポートなど様々な番組を作らせてもらいました。
■制作チーフとして
そして今、制作チーフを拝命し頑張っています。特にロケ現場では、その場の様子をテープに収められるようにやっています。
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カウテレビはリアリティーを重視し、社会に点在する伝わりきれていない価値を発見し “動画”という手法でどんどん世界に発信していきます。
